大のF1好きで、もう10年以上もとりつかれているF1。見始めたきっかけは、アイルトン・セナというドライバーの存在だった。
80年代後半から90年代前半にかけて、劇的と評される数々のバトルの中心に必ず現れるこのドライバーは、その激しい走りと神秘的な言動から、カリスマ的な人気を博した。
自分が本格的に見始めたのはセナの円熟極まる93年。今でも語り継がれるような劇的なレースをいくつも演出し、それをリアルタイムで見ていた幼い自分には、衝撃という言葉がふさわしかった。
大逆転のブラジルグランプリに、4台ごぼう抜きのヨーロッパグランプリ。強さが目立ったモナコグランプリ、日本グランプリ、そしてオーストラリアグランプリ。劣勢ながらもこの年5勝も上げ、負けてしまったレースにおいてもプロストやシューマッハと激しいバトルをやり合った。
不幸にして翌94年に事故死してしまったが、セナの死がかえって自分にとって、セナがいないという虚無感を埋めるために、さらにF1を見続ける原動力になったと思う。そして、セナがいた80年代に自分の興味は傾いていった。
今話題のYouTubeを検索すると、当時のF1の貴重な映像がたくさん手にはいる。VHSのテープでどこに行ってしまったかわからない映像が、今パソコンの画面で見られる。多少の違和感はあるものの、幼少の記憶が昨日のことのように思い出され、ドキドキして毎日みている。
また、セナと検索をかければ様々な情報が手にはいる。なかでも、ちょっとじっくり目を通してしまったのが以下の記事。
Ayrton Senna - Wikipedia, the free encyclopedia
この記事にはセナのレース人生や、死亡事故の詳細、セナの残した名言などが記載されており、日本で語られるセナとはまた違う雰囲気でセナをみることができた。
今のF1には、文句なく史上最強といえるミハエル・シューマッハがいる。
しかし、振り返ってみれば、彼のF1人生は孤独との戦いだったとも振り返ることができる。
94年、セナとシューマッハがチャンピオン争いをすることは間違いなかったと思う。そこで起きたセナの不幸。突然セナがいなくなったF1を、シューマッハは一人で戦ってきた。そう考えるとシューマッハの大記録の影に、セナの存在がどうしても見え隠れする。
今のF1も確かにおもしろいけど、80年代、90年代のF1が、もっと今よりもおもしろかったと感じるのは、きっと幼い頃のセナの記憶が、ずっと自分のなかに残っているからなんじゃないかと、幼少の自分に聞いてみている。


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